恋愛・結婚・お金・・・30代独身男性のひとりごと、と料理。

33歳・独身男性。女の影なし。料理は好き。下手だけど。
当たり前の日常、世界とのチューニング。
「大人」になりそびれた男の、
「大人」への挑戦。ハッピーエンドを目指して。


歯科医。


長らく仕事に没頭するあまり、身体のメンテナンスを怠っていると、
こんな目にあうのだろう。

ほんっとーに歯が痛い。

毎日のように歯医者に通っている気がする。
それでも痛い。治療箇所は無数にある。

親知らずは虫歯になりやすいそうだが、大穴だらけで、
どこもかしこも治療中のままである。

その中でも、気になっていた部位を指摘し、様子を見てもらうと、
やはり大きな穴が開いていたらしい。

金属がかぶさっていたのだが、その金属の隙間やらなにやらから
いつの間にか侵食し、金属をはがしてみると、中身は一部
腐っていたという。確かにそこを開いたとたん、
口臭が酷いときのにおいが・・・。


それを削り出している途中の痛みというのは、・・・表現できない。

しかし不思議なもので、人前だと人間強くなる。汗だくで、身体を硬くしながらも、声は出さなかった。


とはいえ、本当の地獄はこれからだった。金属をはがしてクスリを塗り、セメントで応急処置をしてもらったものの、食事をして歯を磨くと一気に・・・来た。


それでも、患部をよく濯いだり、歯を磨けば、大体は収まるものだった。しかし今日は収まらない。実際の傷口が見えないから、痛みの逃がしようが無い。逃がしようの無い痛みというのは、人間理性を失う。ただうろうろ何分も歩いた。それでも痛みは引かない。眠ることに集中して、痛みを忘れようとするが、それでも痛みはなかなか引かない。

本当に痛くて眠れないということがあるんだ、と思った。

まだ痛む・・・。食後よりは若干落ち着いたとはいえ・・・。
しゃべる気も、食べる気も、何にも起きなかった。


そんな、痛みにあえぎ続けた一日を過ごしながら、
なんだか、自分自身に対する自分の行いが見えた気がした。

仕事だとか、いつでもいけるとか、怪しい医者だとか。
(実際今回の前の意思は、モデル並の女性助手ばかりをそろえた男性医で、何一つ言ったとおりにならなかったので、信頼していなかった。金属についてもやたらと使われ、しかも中々はまらなかったのを覚えている。そこが腐ってしまったことに、やりきれない怒りが・・・。)

なんだかんだ言い訳を探して、遠ざけていた自分のメンテナンス。一時的に痛くなったりしても、不思議と繁忙な業務の中では、忘れ去れてしまえるもので。


いいことばかり考えて、いいことが起こることばかりを期待して。中途半端に人を頼っては、自分でメンテナンスすることを怠り、気が付けば自分は「治療」するのに大きな痛みを伴うような存在になっていた。


それは、私の「心」についてもいえることなのかもしれない。一度傷ついた所は、人に見せずに心の中にしまい続けて、適切な処置を行わずに放置している。


その内、その患部を指摘されると、痛いの嫌だし恥ずかしいから、逆ギレして何とかしてみせることを避けようとする。そうすると、見せられるところがドンドン無くなって、しかも患部の傷は腐りだしていく。


人間には、そんな、人に見せずに来て腐らせてしまった「傷」が、沢山あるのかもしれない。



僕が腐らせてきた傷はなんだろう、と思う。失敗、といえるものだろう。きっとその傷は、腐ったままで僕の中に放置されている。思い出すのが嫌なのだ。人に見せるのが嫌なのだ。だからずっと、そのままになっている。


そんな傷を治してくれる、痛みを伴う名医はいるのだろうか。僕はどちらかというと、人の「傷」を直視させ、痛みを伴って治療してきた、「名医」だった。痛みを隠していては、やがて大きな傷になる。そんな思いで、自らの身を削って、人のために働いてきた。


僕が人のために働いてきた本当の理由は、自分の傷を見せたくないから、自分が痛い思いをしたくないから。そんな自分を見せたところで、たいていの人は「見たくない」という。自分も同じように「痛み」を感じるからだ。そんな風にして、自分を押し殺してきた。


昔、「あなたにとって恋愛とは?」というSNS上での質問に、「歯科医」と答えたことがある。


それは、「気が付かないうちに、じわじわ痛みが出てきて、気になってしょうがない虫歯になる。直せば気持ちいいし、幸せだけど、痛むのは怖いし、見せるのは恥ずかしい。だから、できるだけ何度も行きたくはないけど、絶対行かない、って訳に行かない、そんなもの」という意味だった。


うーん・・・。なかなか、いいんじゃないか?(笑)よく例えられている気がする。

僕がしばらく恋愛から離れていることも、もしかしたら長い間放置している、「虫歯」なのかもしれない。

サッカー番組に観る、三人の「加藤」。


加藤浩次、に加藤未央、さらには加藤理恵。
この三人皆、サッカー番組に出演している。

加藤浩次と加藤未央はTBSスーパーサッカー。
加藤理恵は、NTVサッカーアース。

加藤未央と加藤理恵は両方ともミスマガジンの受賞者。

サッカー関係のテレビ見てて、気がついた。

ただそれを言いたかっただけの話。

ちなみに、加藤理恵のほうが加藤未央より一切年下だが、
加藤未央のほうが幼く見える。

どちらも華奢で足が綺麗。というか、番組でよく足を出している。
これは、ディレクターの趣味なのか、競争意識なのかはわからない。

でも、サッカー番組なので、「足を出す」というのも、
ある意味自然なことなのだろうか。


加藤理恵は、少しだけ、及川奈央に似ている気がする。
ちなみに、UNOのCMで、松岡修三と謎のコラボを果たしているが、
あまり話題にはならなかった。

ネガティブ善男


温厚で、気の弱い喜多善男とは正反対の、善男に内在するネガティブな人格。いつの頃からか善男の目の前に現れ、善男の決意や思いを疑い、ネガティブな解釈で善男を困惑に追い込む。見た目は善男そのもの。しかし、その人格はまるで異なる。

ストーリー上、自ら「ネガティブ善男」と名乗りこそすれ、詳しい説明はされてこなかった。しかし、ストーリーが架橋に入り、第8話で、善男の唯一無二の親友、三波貴男の素性が明らかになってから、その正体がいよいよ明らかになってきた。

ネガティブ善男は、善男に常に甘い考えを与えない。それを聞くたびに、静かに人生を終えようとする善男は取り乱し、隠された攻撃性をあらわにする。自分と結婚したみずほの真意や思い、嫌なことは全て忘れて人生の幕を閉じようとする善男の、暗い過去。善男が遠ざけようとするほど、ネガティブ善男は時に挑発的に、時に真剣に、善男に迫り、問いただす。

そして自分自らも、善男のネガティブな部分であることを吐露している。

善男の中にいる善男の一部が言う言葉は、いつもの善男を見る限り到底想定しようもない、みずほの嘘や、三波の裏切り、現世への恨みなどを口にする。それは言い換えれば、死を決意し、マイナスの感情を封印した善男とて、そのようなマイナスの感情を持っていることを意味し、また、何も気付かないような素朴な一面を見せる反面で、みずほに対する違和感や、三波に対する疑念などを抱えていることもまた意味する。善男は必死に、そんなもう一人の自分との戦いを繰り広げる。

また、飛行機事故で11年前に死亡したはずの三波が、生前善男に自らの経歴を詐称していたことがわかる。実際は、アメリカの大学を主席で卒業した、有能な心理学者で、自らの研究発表の場で、驚くべき仮説を展開していた。

「人に存在するネガティブな感情を、潜在意識に暗示することによって、ひとつの別人格にしてしまう。そして、そのネガティブな人格を抹殺する。そうすることによって、ネガティブな人格が消え去り、全く違う人間に生まれ変わったように、その人物を救済することが出来る。」

それはまさに、善男とネガティブ善男の戦いを示しているようであった。


ところで、このネガティブ善男。当然、善男と同じ、小日向文世が演じているのだが、このネガティブ善男がすごい。言うことがリアリティに富んでいて、その言い方、表情が非常に挑発的で悪魔的である。

あまりにも普段の善男とは違うその人格であるにも関わらず、見た目が同じ小日向文世であるシーンは、独特の世界観を作り出している。番組BBS等でも、たびたび話題となっている。

特に、実際に演じている小日向文世の好演ぶりはすさまじく、俳優・小日向文世の実力の一端を証明する、代表的な作品となったことは間違いない。おそらく見ている人は限られているだろうが、その変貌振りには誰もが驚きを隠せないのではないか。


この点は、脚本を担当している飯田譲治については計算済みのもので、自身のインタビューで、「小日向さんの舞台を何度も見に行って、彼の実力については把握している。小日向さんの俳優としてのポテンシャルを最大限引き出す作品に仕上げる」と語っている。

普段の天真爛漫な善男と、ネガティブ善男だけでなく、死を決意し、静かにみずほへの愛を表現する静かな善男など、様々な人間性を表現している小日向文世に対しての評価が高まることは、間違いない。

これは是非、一見の価値、ありである。

イージス艦あたごの事故について


19日未明、千葉・勝浦の海上で起きたイージス艦「あたご」と、民間の漁船との事故は、とても悲しい、痛ましい出来事だった。何が悲しいかといえば、ハワイから任務を終えて戻ってきた自衛官達のことを思っても、いまだに遭難し、安否の確認が取れない遭難者のご家族の悲痛な叫びを聞いても、どちらにせよ胸が痛む。事故とはそういうものだ。生き残ったほう、命を落としたほう、どちらにしても悲痛な思いが残る。

マスコミは、こぞって防衛相ならびに海上自衛隊の初動捜査の遅れや防衛省内の対応のまずさを躍起になって取材、報道している。また、民主党も、大臣はじめ関係各省庁の役人を国会の場で糾弾している。

一番の問題は、遭難したお二人の安否が確認できないことだ。
それ以上に心苦しいことは無い。そしてそれは、石破大臣の心のうちもそうなのではないだろうか。そして、その思いは、今後の職務の中で実現して欲しいのだが。


関連して、このニュースを伝えていたTBS「サンデージャポン」の中で、ゲストコメンテーターとして出演していた中川翔子が番組中で謝罪する一幕があったという。

番組に出演し、この映像を見ていた中川翔子が、「死ぬことは無かったのに・・・」という発言を、捜索中にも関わらず発言。番組生放送中に発言の不適切さに気付いたスタッフは対応を協議していたが、中川氏本人が自ら番組中で謝罪を希望したという。結果、番組中に謝罪、コメントを訂正した。


昨今、芸能人と呼ばれる人たちは、こぞって個人のブログを持ち、自らの思想信条や、活動の様子を伝えている。それは、ファンサービスの一環といえばそれまでなのだが、視聴者、消費者の側から見れば、本人の素顔に触れ、また比較的簡単にコミュニケーションを取れることから、発言の一つ一つに敏感に反応し、「炎上」といわれる、コメントや、批判が集中する状態をたびたび招いているという。

芸能人や所属事務所は、タレントの発言や記事内容について敏感になる事務所もあれば、あえて物議をかもし出すようなコメントを容認し、芸能人としての注目度を高めようとしている事務所もあるようだ。


そんな状況のなかでの、今回の中川翔子さんの対応は、非常に模範的で、情報の発信者としての責任、意識を垣間見ることが出来、非常に好感が持てる。

「別に」発言で有名になった女優が居たが、相変わらず公共性の欠如や「公人意識」と言ったものは希薄になる一方ではあるが、今回の彼女の対応が、模範的なTVタレントのステータスとして浸透すれば、日本のマスメディア自体の意識も向上できるような気がする。

サッカー日本代表、韓国と引き分け優勝を逃す。なでしこジャパンは、中国下し初タイトル


んー・・・。引き分けてしまいました。
悔しいね。まあ、韓国が、割と若手主体で、フェアのやってきてくれたので、いい試金石になったのではないだろうか。まあ、それにしても、不完全燃焼の念はぬぐいきれない。
岡田監督の試合後のインタビューがそれを物語っている。どう評価するかという点については、「評価というよりも、同じチームメイトとして一緒に戦ってたので、そういうことではない。」と答え、質問も早々に「もういいですか」と言って立ち去ってしまった。

決戦を前に緊張が高まっているといえばそういえるし、そんなに3次予選前に余裕が無いのか、とも思える。左にコンバートした本来右サイドバックの加地(ガンバ大阪)は一本もクロスをあげることが出来ず、中に切れ込んでシュートを打つわけでもない。打開できないと見るや中国戦のキックで負傷している安田を投入せざるを得ない状況。

また、試合終盤になってFW矢野(新潟)、播戸(G大阪)を投入するも、取り立ててチャンスも作れずに敗退。戦術がないといわれたジーコ監督以上に、コンセプトの喪失感は計り知れない。

かといって、前半戦だけを見ても、「ボールと人が動くサッカー」ではなく、「ボールだけが動くサッカー」で、前線に仕掛けていく、飛び出していく、リスクのあるパスを通すといったプレーは皆無。後半に入って、19歳の右サイドバック、内田(鹿島)が、やや強引とも言えるドリブル突破を仕掛け、相手に警戒心を抱かせるなど、流石に変化の予兆は見えたが、それらの流れの中からの決定機・得点はなく、結果、仕掛けのアイディアがないことも露呈してしまった。

唯一、積極的に決定的な場面を作り、ポストに阻まれる惜しいシュートなどを放っていた守備専従のワンボランチだった鈴木に追加して入った中村憲(川崎)も、後半早々に交代。その意図は今ひとつうかがうことが出来なかった。

結果的に、試したかったのか、勝ちたかったのか、なんだか意味が希薄な遠征になってしまったような気すらする。新聞各紙も、翌日の報道では一様に厳しい評価だった。



勝者とは、絶対的に自信のあるシステムを自ら変えようとはしない。そのシステムで脅しをかけ続け、相手が隙を見せた瞬間に、「個人の判断」と「才能」で決定機を作り物にする。「決定機を物にする」の戦術と、「基本的なシステム」は同じであるとは思わない。基本的なシステムは、「失点を防ぎながら、チャンスの芽を調べ上げる方法」であり、「決定機をものにする」戦術は、クロージングのときにしか出さない戦術である。

しかし、岡田監督の日本代表は、「チャンスの芽」を探ることも無く、「クロージングに繋がる戦術を、戦況を見極めて実施する」訳でもない。初めから終わりまで同じ。だから相手は「さほど怖くない」のではないか。


一点とって引き分けにはなったものの、セットプレーからである。セットプレーからの形は、基本的には分析と対応が可能であり、二度と使えない。また、現段階でセットプレーの勝負の形を試す意味も薄いといえる。また、相手に感想を聞けば「びっくりした。」というものではないだろうか。つまり、「そういうことをしてくると知っていれば防げた」、ということだ。



世の中が注目したのは、オシム氏の優れた戦術眼に基づく基本戦術とは違う、岡田流の基本戦術だったのではないのか。そして、勝負できる形をどの程度持っているのかだったのではないだろうか。基本的な戦術は「パスを回してキープする。遠目からシュートする。」、勝負の戦術は「セットプレー」では、「危険なにおい」を感じない。


もっとも、こんな素人に好き勝手言われなくとも、選手も監督も「わかっている!」と言いたいだろうと思うが・・・。応援しているからこそ、多少批判的に見つめてしまう。

選手達も、コンディションが上がっていないこの時期の、短期間での三連戦ということで、疲労があったという。だとしたら、目先の勝利よりも、矢野や播戸、水元や羽生など、フレッシュな選手を見てみたかった気がする。


反面、女子は見事の一言。新しい戦術を活き活きと表現し、オリンピック銀メダリストのアジア最強中国を3−0という圧勝で下して見せた。

しかし、いくら戦術的に機能したといっても、基本的には守備の戦術である。守備のリスクを少なくした上で、攻撃に出なければ各上の相手から3点は奪えない。

得点に繋がったケースは、「ドリブル突破」から、「サイドをえぐってからのクロス」に、飛び込んだ「MFの」ゴールであり、中盤の守備的なポジションから飛び出した選手の「ミドルシュート」のこぼれ玉に「詰めて」の得点であり、「飛び出した選手」への「スルーパス」から、崩して、「完全フリーの状態」でのヘディングシュートだった。

これらのどの要素も、男子のサッカーには少なかったといえる。これは戦術の問題ではない。コンディションの問題はあるかもしれないが、仕掛けようという意欲は探ることが出来る。


非常に対照的な、東アジア選手権となった。
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