恋愛・結婚・お金・・・30代独身男性のひとりごと、と料理。

33歳・独身男性。女の影なし。料理は好き。下手だけど。
当たり前の日常、世界とのチューニング。
「大人」になりそびれた男の、
「大人」への挑戦。ハッピーエンドを目指して。


新しい出会い

8abd56a5.JPG>「新しい出会いの無い日は、私を途方にくれさせる」
サミュエル・ジョンソン














日本が初代王者に輝いた、野球の世界一決定戦WBC。韓国の野球連盟総裁は、10月にも日韓戦を行い、真の世界一を決定すべきだと発言し、波紋を呼んでいる。

そんな中、イチロー選手・大塚選手以外は、チームジャパンはすでに今日日本に帰国。成田には1000人ものファンが詰めかけ、選手は実感がわきつつも、戸惑っている様子だった。

イチロー。私が今回最も印象に残った選手。イチロー選手は、WBCを振り返り、こんなにひとつの目的に向かってまとまったことは無かった、と振り返った。

スポーツナビ | ニュース | 「野球人生最高の日」 日本引っ張ったイチロー
イチロー選手は「素晴らしい仲間と野球ができて本当にうれしい。ものすごいプレッシャーだった。このチームでメジャーで戦いたいくらい。子どものように純真にプレーしたし、プロとしての責任も果たした」。
 「燃えに燃えたイチロー」のWBCは、最高の形で幕を閉じた。1カ月間、寝食を共にしてきた“世界一”の仲間と別れ、再び大リーグの戦いに戻る。(サンディエゴ共同)一部抜粋


孤高といわれた彼を生み出したのは、きっと僕たちだ。過剰な期待と報道。ファンやマスコミ、我々は、彼に対する愛情と尊敬を表現するのではなく、我々に対する返礼を期待し続けたのだろう。でも彼はそれに答え続けたと思う。

しかし、最近は、そんな彼ですらモチベーションを感じられなかったのかもしれない。成績が上がらないチーム。それを改善使用ともしないチームメイトやスタッフ。彼は、自らの技術を磨き、新たな記録を作ることで、なえそうになる自分の野球への思いを保ち続けたのかもしれない。もともとそれにしか興味が無かったのだ、と、誰もが思っていたと思う。

でも、今回、彼は違った。確かに彼は自分の向上に興味が無かったわけではないと思う。しかし、彼が求め続けたのは、そのためだけではないだろうが、「新しい世界」「新しい刺激」「新しい自分」だったのではないかと思う。

ここ数年のマリナーズでの日々は、きっと彼にとって刺激の無い、途方にくれた日々だったに違いない。そして、「国を代表して戦う」という事に、並々ならぬモチベーションを感じたに違いない。彼にとっての新たなるステージ。

そして、そこでの戦いは、彼にとって「新しい野球」を見せるのに、十分だったはずだ。そして、今まで感じた事のない緊張感や敗北、屈辱、そして、勝利の喜び。それらを全て、忌憚無く彼は表現していたと思う。

その姿が、抑圧するのが癖にすらなっている日本人の心に火を、いや、「日」をつけた。日の丸が、心に昇ったのだと思う。

技術で全てを向上させてきた彼が、その「ハート」で栄光をつかんだ。
本当に必要なものはなんだったのか。彼のようになるために、本当に必要なものはなんだったのか。それはきっと、「夢中になること」だったのではないかと思う。そして、その原動力は、「あらたな出会いを求める」気持ちだった。

私にとっての新たなる出会い。

それが人をここまで変えてしまう、圧倒的な力を持っていることを知った。
そして、僕自身にとっての新たなる出会いを、探してみたくなった。

倫理的な人 3

kizasiで見る今日の ホワイトホワイトデー

ホワイトホワイトデーと言えば 雪 ホワイトデー ホワイトクリスマス 降って 降る バレンタインデー クリスマス 降ったら お返し いい 3月 チョコ 降った 多い 前 友人 良い 関係 考え 経験 月 男性 関係ない 呼ぶ 伝えた 滅多に 綺麗で 見入ってしまいました

 「倫理的な人は、相手の望んでいる以上のことを行わない。
 決して自らの許容範囲を超えた行動をとることはない。」

マイケル・ジョセフソン


 今日はホワイトデー。

 相手の望んでいることを、正しく把握する事は難しい。特に、女性の望んでいることを正確に理解することは、より困難だ。

 かくいう私も、とっても苦手である。

 今日働いている女性たちには、いったいどんな一日だったのだろう。

  ひとまず、最善は尽くしたつもりだ。それが、許容範囲を超えた行動なのかどうかはわからないが、できることはした。

 義理チョコに、期待させたという罪を問うなら、私の行動は犯罪そのものだ。私自身には許容しうるものであったとは言え、少なくとも満足している人はいないだろう。

 人は「差をつけられる」事を喜ぶ。私のした行動は、答えをはぐらかしたことに他ならない。

  でもそれ自体がひとつの答えでもある。「私は誰も選ばない。その時点で、全ての人々を受け入れるという意味である。だから、答えを求めないでほしい。そして、その意味を考え込まないで欲しい。単なる、日々の協力に対する感謝なのだ。」

 女性の耳には、きっと入らないであろう、僕の本音。ずるいか・・・。


 女の本音・・・。


参照:「ホワイトデー殺人事件」五月祥子(amazon)



「好きなら、告白しよう!」と、あたし穂波が神林くんへ、親友の真衣が水谷くんへ、チョコを贈ってから、1か月。ドキドキの日が、やってきた。真衣は水谷くんからの電話で、“ここで誓った愛は永遠”といわれる、桜の木の下へ。ところが、そこで殺人事件が起きてしまったの。疑いをかけられた真衣。でも、あたしと神林くんが、かならず真相をつきとめるから。きょうは記念日。悲しい日にしては、ダメ。


 

イチロー 〜WBCアメリカ戦後のコメント〜 5

 

 

米屋、三代目、信一郎です。:日の丸を背負うという事<WBC日本vsアメリカ>

「この野球の国に来て、最高の舞台で君が代を聴いて、あらためて日の丸の重みというものをあの瞬間に感じたし、選手はみんな国歌を聴いて、強い気持ちを持ってゲームに入ることができたと思います。こういう気持ちになったのは、僕は初めてでした」

 サッカー、94年アメリカワールドカップ最終予選、あのイラク戦で起きた「ドーハの悲劇」。 あの試合を多くの子供たちが見て、現在の日本サッカーはあります。

このイチローの言葉、そして、試合後の王監督、西岡選手、イチロー選手の悔しさを、同じように感じる子供たちが居れば居るほど、日本の野球界も成長していくのだと信じます。

確かにすっきりしない判定だった。でも他にも勝つチャンスはあった。実力です。実力で負けた。勝ちきれなかった。環境、人、様々なものが影響する真剣勝負の場で、ベストを尽くし、負けた。 悔しい。

 でもわくわくします。この先の戦いが、今までよりもずっと楽しいものになるだろうと、そして、その末に得る勝利の喜びは、今まで感じたことの無いものになるだろうから。 あの、アメリカと、世界大会で真剣勝負してるんです。打たれたのは、A、ロッドです。何も、ひとつも恥じることは無い。

 これが世界大会。これが真剣勝負。だからこそ、完全な勝利には、何にも勝る喜びが、きっとある。

頑張って欲しい。

 そして、「18日の準決勝で必ずアメリカともう一度戦う」と言った西岡選手の言葉を、僕も信じています。 まだ若い選手がたくさん居る。経験が少ない選手も居る。

そして、多くのことを成し遂げてきたイチロー選手が居る。お互いが様々な思いを持ち、学び、そしてひとつになって成長していく。 僕はこの試合をみて、本当に参加してよかった、世界大会を実施してよかったと思う。

この、大アウェーの中で、アメリカを追い込んだこと。世界屈指のメジャーリーガーと真剣勝負をし、そして敗れたこと。 こんなに素敵なことは無いじゃないですか。

 まだ戦いは終わっていない。

メキシコも韓国も強い。正直、負けると思うと怖いです。 でもだからこそ勝ちたいと思う。

何も出来ません。僕は何も出来ませんが。ただ、祈りを。思いを送りたいと思います。 そしてこの勝負を、この景色を、この気持ちを、多くの日本の子供たちに見てほしいな、って思います。

 イビチャ・オシムの言葉。「人生も、サッカーと同じだろ?」

オシムの言葉―フィールドの向こうに人生が見える

自由 5

shinjuku1

「自由とは責任のことだ。
だから人は、自由を恐れる。」









ジョウジ・バーナード・ショウ



僕は何より自由を愛する。
そのための責任ならば、喜んで果たす。

だけど、その責任ばかりに負われて、自由を手に出来ていない気もする。難しい。

でも、彼の言うとおり、責任の伴わない自由は無い。
なぜなら、自由の名のもとに行われる行動や言動は、全て自分の意思決定によるものだから。

だから、全ては自分に帰ってくる。

最近僕をがっかりさせる人たちは、自由を求めかつ、責任を担保することを望む。多くは女性だ。だが、男性の中にも見かける。

そんなやつは男じゃない。

「男みたいなこと、言わないで。」

祝!開設☆「広い心の持ち主が惹かれるもの」

  • 2006年03月09日
  • Life
8a1ccf61.JPG祝!開設ブログ!

このブログでは、日々の生活の中で、ほんっとうに小さな言葉から、過去の成功者、偉大なる学者らが残して言い伝えられてきた、名文・名フレーズまで、日々の日記と共に、つれづれなるままに書き綴って行きたいと思います。



今日の言葉
「狭い心の持ち主は、普通でないものに惹かれ、
 広い心の持ち主は、ありきたりなものに惹かれる。」

エルバート・ハバード
著作「ガルシアへの手紙」(amazon)


ハバードさんは、アメリカの教育学者。1889年に、約1時間で、上記の「ガルシアへの手紙」を書き上げたそうです。実はまだ読んでません・・・。

今日のこの言葉は、最近聴いた言葉の中で、もっとも揺るがされた言葉です。

ハバードさんが意図している内容と違うかもしれませんが、この言葉を見て僕が考えたことを書いてみたいと思います。

僕はずっとアーティストになりたいという夢「だけ」もって、飛び込まなかった。努力してこなかったわけです。人が教えてくれるまでは決して手を出さない。それは、「人と違うことがしたい」という、非常に自分勝手で弱気な気持ちがあったからです。ありきたりなキャリアで、在り来りな動機付けで事を始めたくなかった。

このほかにも、僕はオリジナルにこだわってきた。人と同じことをしてもつまらない、とか、唯一無二の存在を探して、生きて来た。でも、結果的にそれは、人から自分を遠ざけることになるのです。

全てオリジナルでなければならないということを自分に課すことは、様々な制約を設けることになります。そんな完璧な人間いない、とか、オリジナルだと思っても、この広い世界には自分と同じようなことを考えて、先にやっている人が居る、とか、そういうことを自分では思っても、中々この呪縛から逃れられないで居ました。

でもそれに対する疑問も感じていた。オリジナルなものは評価できない。そのはずなのに、それに対する批判ははね付け、それに近いものは盗作とたたく。かといって、自分とまったく同じ感性のものは、やはり認める気にならない。そういう人間になってしまうのです。結果的に、自分でも何が優れているのか、何が自分の意思なのか、良くわからなくなってくる。

そんな自分の生き方は、ある種教えというか、厳しい指導に基づくものでもあり、それはそれを教えてくれた人の生き様でもあるので、それはそれで守ってあげなければ、みたいな気持ちも正直あった。だけど、そろそろそういう気持ちは捨てて、僕は僕として、色んな生き方をしてもいいのかも知れない。そう思っていました。

だから、このブログがある。だからこの言葉が気になる。
そういう展開の中の一局面がこのページ、なのだと思います。

要は、オリジナルじゃなきゃだめ、なんじゃない。不細工でも何でも、「個性」はいとしいのです。全てに個性があるはずで、全ての命に意味があるように僕は思いたいのだと思います。だから、そんな愛しい「個性」が、批判されるのがいやなだけ。自分が好きだと思った世界を、馬鹿にしないで欲しい、気持ちよく楽しみたい。好きな気持ちを思い切り表現したい。ただそれだけなのです。それがやっと今はわかるような気がします。

だけど世の中はまさに「比べる」時代。違いが伝わらなければ良さも伝わらない。「差別化につぐ差別化」。新しいキーワードを発信し続けなければ、情報の洪水に生きる現代の人々の記憶からは簡単に消え去ってしまう。僕は忘れられたくなかった。
家庭環境でしょうね。それはもう仕方ないことと割り切っている。

この言葉を聴いて、自分は心が「狭くなっている」と感じました。そして、その原因もすぐにわかりました。普通ではダメだ、って自分にずっと言い聞かせてきたから。それは、何がダメかというと、僕の愛されたい対象に認められることが出来ない、って意味だったんだと思うと、自分がかわいらしく思え、そして少し悲しい気持ちになります。

そして、誰かに認められるために生きてはいけない、と思います。
どんなに誰かのために頑張っても、相手には重荷なだけ。自分の願望を他人に押し付けてはいけない。それは常日頃、私が周囲に話していることでもありました。大切なことは、今、僕に僕の「命」があることで、それをどう活かしていくのかを考えることです。そうでなければ、いつまでも誰かのせいにして生きて、自由を奪われ、辛いだけです。そして、偶然に命を奪われていってしまう多くの人たちに申し訳ない。この命は「借り物」に近いと僕は思う。

周囲や家族、多くのものに感謝するために、僕は自分の意思で自分の人生を良くいきることだと思います。誰のせいにせず、自分の意思で生きていく。そう思うと、「ありきたりなもの」のありがたさに気付きます。僕は、僕一人では、結局何も生み出すことも、することも出来ない人間だったのです。

それまでは、自分の好みに合わない、とか、誰かと一緒だからいや、とか、そんなことを言っていたけど、全て自分で出来ない僕が、僕一人生かすには僕自身の力でやっていくしかないことに気付いたとき、それは変わります。在り来りでもありがたい、何か、に、変わるのです。

そこに感謝が芽生え、思いやりが生まれるのだと思います。

思えば、ありきたりなものって何でしょうか。そんなものあるでしょうか。在り来りな「言葉」なら、あるかもしれません。全国民が、10数個しかないチャンネルから、日々同じような言葉を聴いているわけですから。

でも、こと「もの」に関しては、どんなものにも細かくその個性やデザインが異なるような気がします。

僕は気付きました。在り来りなものなど存在しない。全てに個性と命と過程が備わっていて、それらはそれぞれ、少しずつ違うのだと。

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